横浜市在住のおでかけ好きの地元ライターが、とっておきの横浜の魅力を、地元民目線で紹介します。
パン屋さんが多く、さまざまなパンと出会うことができる横浜。
港町・横浜には明治時代から外国人居留地に住む方々のためにパンを焼いていたという記録が残っています。こういった歴史的背景から、横浜は日本のパン文化発祥の地と言われています。
日本で初めて食パンを販売したウチキパンは1888年に元町で創業しました。
以来137年、関東大震災や横浜大空襲で道具や工場を失っても、創業当時のレシピだけは守り抜き、変わらない味の食パンを今も焼き続けています。

伝統の食パンの名は「イングランド」。
真っ白いきめ細やかな断面と香ばしい耳は、そのまま食べればふんわりもちもち、トーストするとサクサクの食感です。
食パンを味わいながら「明治時代にこんなに美味しいパンが既に完成していた」という事実に、ただただ驚くばかりです。
今回はウチキパンの5代目工場長の打木 豊さんにお話しを伺いました。
目次
日本で初めて食パンを販売したウチキパンの誕生

― ウチキパンが「日本で初めて食パンを販売するパン屋さん」になったのは、どういった経緯ですか?
打木さん)
横浜が開港してすぐに現在の関内周辺に外国人の居留地ができました。そこで外国人の方が、寄港した船に乗っている外国人船員相手に商売をしていたのです。
その中でもイギリス人のロバート・クラークさんがやっていた「横浜ベーカリー」というパン屋さんがすごく人気があったそうです。
僕のひいひいお爺さん、ウチキパン初代・打木彦太郎は、その「横浜ベーカリー」で10年間、パン作りを学びました。
当時、イーストがまだ広まっていなかったので、パン屋さんはそれぞれで酵母を作り、そのレシピは企業秘密でした。彦太郎が横浜ベーカリーを修行先に選んだのは、ホップ種のパンがとても評判がよかったからだと思います。
ポップでパン種を発酵させて作った生地はふわふわで、イギリス人をはじめとする外国人に高く評価されていたそうです。僕は会ったこともありませんが、できることならひいひいお爺さんに当時の様子を聞いてみたいです。その後、独立し、1888年にこの場所にお店を出しました。

横浜ベーカリーで10年修行して、やっと教えてもらえたレシピで作ったパン。それを「ゴールデン食パン」として販売したのが始まりです。
お店を出したばかりのときには、パンを買いに来るのは外国人の方が多かったのですが、日本人の方も物珍しくて買いに来ることもあったようです。
いい水とホップの恵みから生まれる美味しい食パン
工場で育てているホップ種。こちらで2日目。蓋を開けると発酵の香りが漂う。
― 美味しいパンを作る条件というのはありますか?
打木さん)
元町あたりには湧水が湧いています。この水は当時、横浜港に寄港する船の船員たちに「きれいな水」として重宝されていました。「ほかの港で補給した水はだいたい1週間くらいで腐ってしまうのに、横浜港で入れた水だと1ヶ月経っても腐らない」と、言われていたそうです。
「キリンビールの発祥の場所」が近くに建てられたのも、この湧水がビールに適していたからです。当時は「スプリングバレーブルワリー」という醸造所でしたが、ウチキパンはそこでビールの原料のホップを分けてもらっていました。
ホップはいまでもなかなか買えない貴重なものです。でもここでは酵母に必要なホップが入手できて、きれいな水がある。パン作りにぴったりの場所だったのです。
いまでも「イングランド」という食パンは、「ホップ種」というホップを原料に酵母を起こすという昔のやり方で作っています。ホップの花の部分をお茶のように煮出して、その煮汁に小麦粉やモルト、砂糖、塩、はちみつ、おろしたじゃがいもを合わせて酵母を育てます。
ホップ種は起こすのに丸々4日間くらいかかります。昔は酵母を手動で攪拌(かくはん)していたので、夜勤担当の人がいて、1時間ごとにかき混ぜていたそうです。
「横浜の人はパンとともに生きている」

― 元町の人にとってパンはどんな存在ですか?
打木さん)
元町の方は昔からパンを特別なものと思っていません。元町に住む人々にとってパンは日常の中にあって、当たり前のように食事と一緒に食べるもの。
たとえばシチューだったらパンにしよう、というような感じです。メインの食事に合わせて、ごはんで食べるか、パンで食べるかという選択肢のひとつです。
― 店頭に並べるパンはどのように決めていますか?

打木さん)
新しい商品を月に1回くらい出します。新商品の売れ行きがよければそのまま定番になり、売れないようだったらすぐに止めます。そうやって残ってきた精鋭70〜80種類くらいが常にあります。
「ずっと続けていくもの」と「新しくしていくもの」のバランスが、古いお店を続けていく難しさでもあります。
「イングランド」は材料も製法も創業当時のままです。そういった変えてはいけないパンもありますが、ずっと同じものばかりを出していると飽きられてしまう。新しいパンはお客様の来る楽しみにつながりますから、大切に生み出しています。
打木さんの、歴史を大切にしながら、新しいものを受け入れ、調和させていく気質は、横浜の文化を象徴しているように感じました。
ショッピングバッグに込められた想い

元町ではウチキパンのショッピングバッグを持って歩く人を数多く見かけます。
レトロなデザインが美しい「持っていて嬉しくなるショッピングバッグ」。
ここにもウチキパンの想いが詰まっています。
― このショッピングバッグはどなたがデザインされたものですか?
打木さん)
あの絵を描いた人は、残念ながら分かりません。昔、袋を注文していた印刷会社の方に紹介していただいた、外国人デザイナーさんに描いていただいたらしいです。
その方の名前は分からないのですが、その後海外で賞を獲られて、すごく有名になられたので、もう頼めるような人ではないという話は聞いたことがあります。
お名前を調べてもらったこともあるのですが、分からないままです。
うちのショッピングバッグを持つことを楽しみにしてくださっているお客さまもいらっしゃるので、有料化のときに無料のままにできる方法はないか調べました。
「52ミクロン以上の厚さにして、再利用を推奨しています」と記載するとレジ袋を有料にしなくてもよいという条件があったので、うちでは袋を分厚くして、今もみなさまに無料で持って帰っていただいています。
ウチキパンが元町でしか買えない理由

― ウチキパンはなぜ元町でしか買えないのですか?
うちのパンはすべて、お店の上にある工場で作っています。工場は狭いのでそんなに大量には作れません。
もし大量に作るとなると、セントラルキッチンのようなシステムを導入しないといけないし、職人も育てないといけない。やらないといけないことが増え、何より目が届かなくなります。
パンの出来をきちんと自分で見ることができる範囲でパンを焼いていきたい。
お店で販売する分を焼くので精一杯なので、イベントやデパートへの出店のお誘いをいただくこともあるのですが、基本的には全部お断りしているんです。

オンライン販売もしていません。
うちのパンは味にインパクトがある非日常のパンというよりは、毎日のように食べているけど、また食べたくなるパンです。そういうパンを目指しているので、送料を払ってまで食べてもらうのではなく、手軽に買って食べていただきたいと思っています。
また、元町に来ないと買えないというのは、元町に来るきっかけにもなると思います。
オンライン販売も大事ですけど、それ以上に「元町に来てもらう」ということを第一に考えています。

― ウチキパンのこれからをお聞かせいただけますか?
打木さん)
できる限り続けていきたいです。
でも、大きく広げようという気持ちはありません。次に継いだ人がどう考えるかは分からないですけど、自分の中ではここに居続けることが、いちばん大事だと思っています。
ウチキパンの歴史ともつながっている場所ですから、大切に守っていきたいです。
パン文化が根づいた横浜の魅力

― パンが好きな方にはたまらない横浜の魅力はなんですか?
打木さん)
日常的にパンを食べている人が多く、横浜の人はグルメな人が多いので、美味しいパン屋が多いのは確かだと思います。
横浜にはパン好きな人でも食べきれないくらい、いろいろなお店があるので、楽しくパン屋めぐりができるのではないでしょうか。
その中で自分の好きなパン屋を見つけたり通ったりするのが、横浜だからこそできる楽しみ方だと思います。
― 横浜のパン文化を盛り上げようという取り組みはありますか?
打木さん)
2009年からずっと続いている「ハマフェス 横浜パン祭り」というイベントがあります。
横浜港開港150周年を記念して、開国博Y150という地方博覧会が横浜市で開催されたのですが、「これをつなげていこう!Y 151から200までやろう!」という地元の強い想いで、2009年から毎年、ハマフェスを開催しています。その中に「ハマフェス 横浜パン祭り」というイベントがあります。
「ハマフェス 横浜パン祭り」には横浜市のいろいろなパン屋さんが10〜15店ほど集まっています。横浜市のパン屋が集まる機会では、いちばん規模が大きいです。
「横浜パン祭り」のほかにも、全国のパン屋さんが集まる「パンのフェス」など、パンのイベントはあちこちで行われています。
うちにもお誘いがありますが、なかなか行けなくて。うちとして参加しているのは横浜パン祭りだけです。
― 横浜ならではのパンの楽しみ方を教えてください。
打木さん)
デパートなどでのパンの催事も多いですし、いろいろなパンに出会えますし、横浜には海外のお店が出店することも多いです。
パンのある暮らしを楽しむことができる環境が整っていると思います。
日常的にみなさんパンを食べているので、パンの食べ方もそれぞれで、自分の食べ方を持っている人もいます。
そういう人たちと話をするのも面白いと思います。
基本情報
「ウチキパン」
住所:神奈川県横浜市中区山下町100
営業時間:9時00分〜19時00分
定休日:月曜日(祝日の場合は火曜日)
URL:https://www.uchikipan.co.jp/
パンの街・元町で個性を放つパン屋さん3店

元町はお店を出す立場から見ると、厳しい場所でもあります。
打木さんは「ポンパドールさんも元町に本店がありますし、昔からやっているお店が多いです。新しいお店もどんどん出てきていますが、2〜3年で閉店してしまうお店も少なくありません。元町で生き残っていくのは大変だと実感します。長くやるのは難しいのですけど、残っていくお店もいっぱいあります。そうやっていいお店がどんどん増えているのだと思います」と話します。
元町にできた新しいパン屋さんといえば話題性もあり、注目されますが、やはりパンへのこだわりや強い想いがないと、人はすぐに目移りしていきます。
そこで、強い個性で惹きつけてやまないパン屋さんで、私のおすすめ3店をご紹介します。
マリンベーカリー

フランスの製法、材料、オーブンを使用して、フランスを感じられるパンを焼いています。さまざまな文化が交じりあう横浜という土地柄を活かして、トルコの鯖サンドやポルトガルのエッグタルトなどのさまざまな国の特徴的なパンや春の訪れを告げるスェーデンのセムラなど、季節のパンも作っています。

基本情報
「マリンベーカリー」
住所:神奈川県横浜市中区新山下1-2-1
営業時間:10時00分〜19時00分
定休日:月・火曜日(祝日の時は翌日休み)
URL:https://www.instagram.com/marine_bakery121/
O to U

異なる食材の出会いがテーマのパン屋さん。「和と洋」「秋と夏」「甘いとしょっぱい」などを組み合わせて起こる未知の味に物語を感じます。

看板商品は「あんぱん」。あんは黒糖で8時間煮込んで、手作りしています。

基本情報
「O to U」
住所:神奈川県横浜市中区元町1-54 リブレ元町 2F
営業時間:9時00分〜17時00分
定休日:月・火・水曜日(祝日の時は翌日休み)
URL:https://www.instagram.com/o_to_u/
ミセスパブロフベーカリー

美しくて幸せな気持ちになるパウンドケーキ専門店「パティスリーパブロフ」から生まれた「ミセスパブロフベーカリー」。
お菓子屋さんが本気で手掛けたクロワッサン専門のベーカリーです。

フランス発酵バターを100%使用したクロワッサンはコクがあるのに、後味はさっぱり。

進化系パンのクロワッサン・スイスやお食事クロワッサンなども人気ですが、美しく着飾ったケーキのようなクロワッサンは、スペシャルな時間に食べたいパンです。口にすると、甘い贅沢が五感に広がります。
基本情報
「ミセスパブロフベーカリー」
住所:神奈川県横浜市中区山下町100
営業時間:10時00分〜17時00分(商品がなくなり次第終了)
定休日:月・火曜日(月曜祝日の場合は翌水曜振替定休)
URL:https://mrs.pavlov.jp/#concept
まとめ:横浜のパン文化と生活
横浜のパン文化は知れば知るほど面白くて、パンを愛しく感じます。
打木さんはシチューにパンを入れて食べられるそうでが、ウチキパンのお客様もそのように食べられる方が多いそうです。
お店で働く方々は、いつも穏やかで優しい笑顔で迎えてくれますが、何度も通っているうちに、ちょっとしたおしゃべりをすることもあります。
横浜には家族の日常の食卓に寄り添うようにパンが存在し、パンを介した人とのつながりがあります。
今回ご紹介いたしましたパン屋さんの他にも横浜にはたくさん美味しいパン屋さんがあります。パン屋さんめぐりをして、ご自身の好みのパン屋さんを見つけるのもパンの街・横浜ならではの楽しみではないでしょうか。