沖縄タウンをそぞろ歩き。人情味のある商店街を愉しみながら、横浜発祥のビール工場で締めくくる。

沖縄料理が食べたくなると鶴見へ来る。鶴見には沖縄出身者が多いエリアがある。今日は「おきなわ物産センター」へ買い出しに来た。物にあふれた店内で、まず人目を引いたのは「おきなわのミトメ」の印鑑ケース。

「あちらの名字がなかなか無いので」
と社長の下里優太さん。たとえば「喜屋武」と書いて「きゃん」と読む。「阿波根」と書いて「あはごん」と読む。
お菓子や土産物に混じって「紙銭」が置いてある。黄土色の紙にびっしり銭を型押ししたものが束になっている。
「お盆とか月の1日や15日にお線香をあげる時、燃やしてご先祖にお金を送ります」
隣の「黒線香」は平たい棒状で、6本が「1枚」となっており、3本や2本に割って使う。沖縄の生活に根ざした品が、観光客用の民芸品と仲良く並んでいる。

鶴見が沖縄タウンとなったいきさつを教えてもらった。話は1925年頃に遡る。政府の移民政策に乗って、横浜港から客船でハワイや南米を目指す沖縄県民が横浜に集まった。様々な理由で渡航できなかった人たちが、京浜工業地帯で職を得て、鶴見に在留するようになった。その流れは戦後の集団就職まで続く。その後も「鶴見に行くと仕事があるよ」、「鶴見には仲間がいっぱいいるよ」と口伝えで今に至る。
店は来年で40周年となる。社長は2代目である。沖縄育ちだが、大学進学を機に横浜へ移った。当時は島から出たいほうで、「陸続きでいろんなところへ行ける」内地は魅力的だった。出てみると地元の良さがわかるもので、今では鶴見ウチナー祭の実行委員長を務めている。

鶴見ウチナー祭は沖縄の食、音楽、文化を体験するお祭りで、11月頭の2日間で5万人の来場者を見込む。お盆にご先祖を供養するために踊られるエイサーと合わせて、すでに鶴見に馴染んでいる。


お話を伺いつつも、目は店内を物色している。惣菜のコーナーがある。ソーキと昆布の盛り合わせ。炊き込みご飯のジューシー。次々と買い物かごに放り込む。サーターアンダギーは隣の工場で出来立てを販売、と聞くとどうしても手が伸びる。沖縄そばの麺も自家工場の製品だ。店の奥では豚のあらゆる部位が冷凍ケースに収まっている。

「沖縄では豚は鳴き声と思い出以外は全部食べますから」
沖縄そばの具材となるカマボコも種類が豊富だ。切り口がシーサーの面になるものまである。私の買い物は泡盛のミニチュアボトルセットで終わった。

社長は最後にいい言葉を教えてくれた。「結回(ゆいまーる)」の精神。故郷を大事にする、そしてみんなで助け合う。この精神はアメリカ、カナダ、ブラジルなど、世界中に沖縄の県人会を生んだ。沖縄は彼らの心の拠り所なのだ。誇りを持って生きていきたい、と社長。
社長にとっての横浜を聞いてみた。
「横浜は住みやすいです。沖縄1番、横浜2番」
浜っ子には嬉しい即答だった。

こちらで買い物心に火のついた私は、「レアールつくの」商店街に足を伸ばした。300メートルを超えるアーケード街に吸い込まれていくと、時計の針が逆回りして昭和になる。白地に緑の「グリーンストア」の看板の奥は、小規模なマーケットになっている。奥の「かなざき精肉店」は、コロッケが得意と聞いている。ホカホカを1個買って店先で頬張った。肉の旨みがイモに染みて、いい匂いが口いっぱいに広がった。その間にひとりのご婦人がみそ漬の豚肉を買っている。

「こちらのみそ漬、美味しいですか?」
「すごい美味しいです」
「みそも自家製なんですよ」と金崎富士男さん。店は44年前に兄の久雄さんが始めた。ふたりは新潟から出てきて、藤沢の肉店で修行をしていた。その時こちらを紹介された、というわけだ。

久雄さんは店の奥で大量の鶏肉と格闘している。接客が終わった富士男さんもやき豚を切り始めた。物欲しそうな目をしていたのだろう。切れ端をいただいた。やさしい味付けが脂を引き立たせて、旨さが後を引く。

すべて自家製という惣菜も魅力的だが、目を引いたのはステーキ用のサーロインと肩ロース。緻密なサシが入って、1枚1,120円は絶対に安い。手を伸ばしたいところだが、この日は後の予定があり、生ものは諦めた。代わりに買ったのが、調理済みの味つきスペアリブ。濃厚そうな黒いタレに漬かっている。肉はオーブン加熱で香ばしさを楽しみ、タレで大根やゆで卵を煮る。タレの製造には4、5日かかるそうだ。
「焦がしたらアウトですからね」
なぜ手間をかけるのか聞いてみた。「そういうお店で育ってきたから」と、ちょっと誇らしげだった。
肉の隣は魚、「魚作分店」。いなせなご主人の大橋保さんが対応してくれた。店の歴史は47年。その間に周りが「段々マンションになっちゃった」そうである。対面販売だけではなく、保育園への納品があるので商売が成り立っている。

「もう年齢的に厳しいから」
「そんなお歳には見えませんが」
80歳とは驚きである。
80歳は4時起きで5時半に市場へ行く。7時前には帰って、店先の陳列をする。それから保育園に納品し、9時半に戻り、10時に店を開ける。
「あと5年か10年は頑張ろうと思っています」
話しながら大橋さんはアジを3枚におろし始めた。包丁をさっと引くと、角の立った鮮やかな切り身が現れる。

客に頼まれれば、3枚おろしだけではなく、煮たり、焼いたり、「骨取りでも何でもやる」。
大橋さんは魚を卸している保育園で、園児に好きな魚を聞いてみた。「シャケ」と声を揃えた。こちらの鮭は脂の乗ったノルウェー産。園児はグルメなのである。
店頭の鮭を見せてもらった。隣でサンマがピカピカの銀色の腹を晒している。

「これも焼いてもらえるんですか?」
朝に電話を入れ、夕方何時と指定すれば、その時間までに焼いておいてくれる。家で焼けばグリルが汚れ、匂いがこもる。今度来る時は電話を入れようと心に決めた。
「グリーンストア」の斜向かいにお茶と海苔の「丸曽根」はある。苗字が曽根さんで、縁起物の丸をこれに付けた。店内には椅子が4脚あり、勧められて座ると、熱々のお茶が出てきた。まったりとした苦味が口を洗って、飲むと後に緑の香りが残る。全身の細胞が生き返る思いがする。商店街のお茶屋のいいところは、座って1杯飲んで店主とよもやま話を出来ることだ。

お店は曽根うめさんと娘の林典子さんでやっている。
「ノリ屋のノリ子なんですよ。名前を付けた時は全然気が付かなかったんです」
店は昭和37年に鶴見駅東口の栄町で始めた。うめさんが結婚して間もなくの頃である。ご主人は静岡の掛川出身。実家がお茶農家で加工販売も行っていた。結婚前は名古屋のお茶屋で修行をしていたという。鶴見在住の姉がこちらで店を探してくれた。

栄町の本店は、今では卸を中心にやっている。小売のこちらは今年で47年目となる。
「昔はすごかったですよ。100店舗以上あって。ここの商店街は人でごった返してました」
平成の頃でも人出はあった、と典子さんが付け加える。
店の社長は息子さん。海苔問屋をやっており、最近新商品を開発した。味付け海苔のレモン風味というのは珍しい。試食させてもらった。パリパリの食感が口中で崩れたところで柑橘の爽やかさが舌に印象を残す。他にもしそ、塩コーン、わさびなど。明太子はワインに合う。バター風味はトーストと合わせる。

お茶のおすすめも教えてもらった。「やぶきた煎茶一号」は正統派の摘みたて新茶。農家直送茶は力強い味で、200グラム1,728円とお買い得だ。「煎茶一号」とバター風味を手に、店を後にした。

アーケード街から一歩入ったところに「コミュニティセンター」がある。狭い店舗ほどの空間に机と椅子が並ぶ。買い物疲れを癒せるスペースで、トイレを使うもよし、お昼を食べるもよし。授乳やおむつ替えもできる。奥にいた女性に聞いてみた。なぜ「レアール」つくのなのか。
「レアールはフランス語で市場。それで付けました」
確かにレアールはパリの中央市場を意味する。現在も現役の商業施設だ。姉妹商店街になったら面白い、などと連想が飛んだ。
酒の肴は揃った。晩酌のビールを待ちながら、ビール工場の見学をすることにした。生麦にはキリンビールの横浜工場があり、同じ敷地内にレストランと工場見学ツアーがある。レンガ造りの洒落たレストランの前には、レンガの瓦礫が置いてある。関東大震災の折、当時は山手にあった工場が倒壊した時のものである。中は入り口が資料室のようになっており、アンティークのビール釜が一際目を引く。キリンビール横浜工場総務広報担当の塩出洋子さんが会社の歴史を教えてくれた。

キリンビールのルーツは、1885年に横浜山手に誕生したジャパン・ブルワリー・カンパニーである。横浜では食文化をはじめとした西洋文化が日本人の間にも根付きつつあったが、当時日本に流通していたビールはほとんどが高価な海外ビール。そんな中、日本産ビールブランドの誕生に将来性を感じた外国人たちの手によって設立した会社だった。

ジャパン・ブルワリー・カンパニーの経営者の多くはイギリス人だったが、彼らは日本人の口に合うと考えたラガービールの醸造を目指す。機械、原料を本場ドイツから輸入し、資格のあるドイツ人技師を招聘した。
西洋のビールには狼や猫がラベルに使われていたことから、東洋の聖獣キリンを商標にした。現在のキリンラガービールのラベルの原型がこの時誕生したわけだ。
1907年にキリンビールがジャパン・ブルワリーを、そのラガービールごと引き継いだ。1923年の大震災で山手の工場は壊滅的な被害を受ける。新工場を建てるには、山手は手狭で水も不足していた。移転候補地は東京にも見つかったが、「横浜で生まれたキリンビールは、これからも横浜で」という地元財界人たちからの強い要望もあり、生麦に移転したのが1926年だった。

工場で話の続きを伺った。現在の生麦工場は東京ドーム約4個分だが、全国の9工場の中では一番小さい。環境への取り組みに熱心で、水源の森、鶴見川、中華街でそれぞれ清掃活動を行っている。缶チューハイの「氷結mottainai浜なし」は、横浜名産の梨で規格外の品を「もったいない」からと加工して商品化した。売上から1本につき1円が果実農家に寄付される。
ホップや麦芽の実物を見せてもらった。ホップはビールの苦味と泡の元。乾燥したフキノトウに似た花を縦に割くと、かすかな糠味噌香がする。「ルプリン」の香りだそうだ。ホップは日本産で、麦芽は二条大麦を使用。噛み締めると香ばしいのは、製麦の際熱を加えるからだという。


ガラスの向こうには9つの巨大な釜が並んでいる。まずは糖化槽で麦芽を煮込み、粥状のもろみを作る。これを麦汁ろ過槽でろ過。麦汁煮沸釜でホップを加えてぐつぐつ煮込んで香りと苦味を出す。次に麦汁沈澱槽でホップのかすを取り除くと、麦汁が完成する。

「麦のジュースですね」と塩出さん。
私はよくビールを麦のジュースと称して飲んでいるが、今日は本物が味わえる。二番搾り麦汁は色も薄く、味はクセのある麦茶といったところ。一番搾り麦汁は飴色で、味も蜜のように濃い。この一番搾り麦汁だけを用いたのが、製品の「キリン一番搾り生ビール」となる。
出来た麦汁にビール酵母を加えて発酵させ、貯蔵するとビールに変身する。


横浜山手で生まれ、生麦で成長した日本のビール。複雑な製造工程を知るにつれ、無茶ながぶ飲みではなく、ゆっくりと嗜みたいと思う。鶴見から生麦へ、小さな旅を終えた私には、冷蔵庫の冷えたビールが待っている。
【基本情報】
株式会社おきなわ物産センター
住所:横浜市鶴見区仲通3丁目74-14
URL:http://okinawa-bussan.net/
レアールつくの商店街
住所:横浜市鶴見区佃野町28-19
URL:https://www.instagram.com/p/DNKeQBlgPdW/
かなざき精肉店
住所:横浜市鶴見区佃野町25-7 荒川グリーンビル
魚作分店
住所:横浜市鶴見区佃野町25-7 荒川グリーンビル
株式会社丸曽根
住所:横浜市鶴見区平安町1-59-15
URL:https://ramen.marusone.com/
キリンビール横浜工場
住所:横浜市鶴見区生麦1-17-1
URL:https://www.kirin.co.jp/experience/factory/yokohama/
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ライター:荻野アンナ
1956年横浜市生まれ。慶應義塾大学文学部卒。83年より3年間、ソルボンヌ大学に留学、ラブレー研究で博士号取得。89年慶應義塾大学大学院博士課程修了。以後2022年まで同大で教鞭をとり、現在名誉教授。1991年「背負い水」で第105回芥川賞、2002年『ホラ吹きアンリの冒険』で第53回読売文学賞、08年『蟹と彼と私』で第19回伊藤整文学賞を受賞。そのほかの著書に『カシス川』『老婦人マリアンヌ鈴木の部屋』など。神奈川近代文学館館長。





